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  • 岡山大学音ゲーサークルONRYO

音ゲーでLOVE&PEACE

フラット氏からお題「あなたの人生における音ゲーとは?」を頂戴しましたので、リレーブログ企画最後の記事を書かせていただきます。岡医4年のメガネデスクと申します。音節が多くて言いにくいのでメガデスって呼んでね(はぁと)



「会話は音ゲー」という言葉があります。知らなかったら知らなくていいです。


さすがに読者を突き放すのも不親切すぎるので解説から始めましょう。この言葉は別に「やっぱ最近のオタク同士の話題と言ったらアニメ、漫画、ソシャゲ、そして音ゲーっしょ!」という意味ではなく、面と向かって誰か他人と話す時の構図って音ゲーをプレイする状況と相似形だよね、という意味です。

察しのいい方には既になんとなく言いたい趣旨が伝わっていることでしょうが、察しの悪いあなたの為に具体的なシチュエーションを想像する時間を用意しました。

授業と授業の間の休み時間、美容院で美容師に髪を切ってもらっている間の雑談、部活の先輩との飲み会、なんでもいいです。誰かと自分が話す場面を想像してみましょう。目の前には(もしくは背後には)スピーカーのついた肉塊があります。そして今、自分の手元にはいくつかの返答コマンドがあります。さあ、肉塊から発せられる音に合わせて適切なタイミングで適切なコマンドを入力しましょう!

ノーツ:「最近は随分あったかくなりましたね」が流れてきました。

あなたの選びうる選択肢はなんでしょうか?

A「ですよね、岡山はもう気温が27度になるらしいし」

B「そういや先週俺皆伝達成したんだよね」

C「おおっ、お兄さんいいハサミ使ってますね!何年モノですか?」

あなたはどれを選びましたか?

どれが適切かどうかは相手や状況や文脈によって変わってきますが、とにかく流れてくる音声に対して遅すぎず早すぎず、不自然でないタイミングで入力しなければなりません。そしてそれぞれの入力にBAD、GOOD、GREAT、PERFECTなどの評価が付きます。一通りの会話が終了したところで最終的なスコアが確定し、スコアに応じて肉塊があなたをランク付けします。ね?「会話は音ゲー」でしょう?

つまり「会話は音ゲー」とは、「会話」から思いやりや人の温かみといった情緒を排除すると本質的には作業ゲーでありただの点数稼ぎにすぎないのだ、というアイロニカルなニュアンスを含意しつつ、「会話」を説明するモデルの一つであると考えられます。俺たちのかけがえのない絆を形成する基礎であるところの会話を斜に構えてバカにした比喩というわけですね。

しかしこのモデルには不十分な点があります。会話には、向こうから一方的に流れてくる音に合わせて出題された譜面を叩く行為とは本質的に異なる要素が存在します。それはプレイヤーからゲームへの作用の欠如です。

音ゲーにおいてプレイヤーは筐体から流れてくる音声に対してなんら編集権も制御権も持ち得ていませんが、会話においてプレイヤーはリアルタイムで音の発生源、音ゲーの比喩で言えば譜面の出題者であり筐体そのもの、ゲームシステムに対し影響を与えることができます。リアルタイムな相互作用を備えた情報伝達様式、それこそが会話なのです。

ところで太鼓の達人に収録されている楽曲の一部には譜面分岐が存在しますね。良や可の精度や連打数に応じて譜面が変化するのはプレイヤー側からゲームシステムに対するフィードバックとも見なせます。また、難易度の高い楽曲の解放にはハイスコアでのクリアが要求される仕組みも、ある程度親密にならなければセンシティブで慎重な扱いが必要な個人の人格に関わる会話ができるようになるという心理的障壁のメタファーとして捉えられそうです。そういう意味では、会話は音ゲーであると主張する余地はまだあるといえるかもしれません。


しかしながら、言葉を交わすという行為は唯一無二の何物にも代えがたい体験であることには間違いありません(もちろん音ゲーも)。ああでもないこうでもないと一言一句に心を砕き、あちらを押せばこちらが引っ込むといった具合に一挙手一投足が周囲に与える影響を憂慮しながら、個と個が互いの領域を折衝させる過程で生まれるドラマがあります。

感動の瞬間を共に分かち合えた喜び、言葉を交わさなくても触れるだけで相手の思考が手に取るようにわかる神秘的な一体感、大切にしたい気持ちは同じはずなのにふとしたすれ違いをひどく重大に捉えてしまう苦悩、取り返しのつかないほどの破局をもたらした己の過ちへの身をねじ切るような後悔。そういった、人格が星座のように織りなすネットワークの結節点において生々しくも色鮮やかに生命が輝く瞬間こそ、何物にも代えがたい価値を持つのです。

これがいわゆる「関係性」と一部のオタクの間で呼ばれている概念です。

人と人との出会いの場たるコミュニティにおいて、会話とはつまるところ「関係性」を駆動するエンジンです。そして「関係性」がダイナミックな変化を見せる時、感情が揺れ動き、そこに物語が発生するわけです。

人類はかつて、進化の末に虚構を構築し共有する機能を獲得し、それによって大集団をまとめ上げ、他の生物種に対して優位性を発揮したとイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは著書『サピエンス全史』の中で指摘しています。

物語とは、その虚構構築機能の重要な産物であり、人類が人類たる所以です。

この事実は、アルコール依存症患者の集団療法のプログラムで自分語りが重要なステップであることからも確認できます(←急に医学部っぽさをアピールしていきますね、腹立たしい)。アルコール依存症に陥った患者の脳は報酬系に異常を来しており、現実認識が指し示している今なすべき行動を自覚しつつも、己の意志だけでは行動に移すことができない状態に陥っています。もちろん断酒や入院といった緊急的な介入は必要ですが、依存症はあくまで結果であることは忘れてはなりません。酒に逃避せざるを得なくさせた根本の心の隙間を埋め合わせないことにはいくらでも再燃します。心の隙間とは、トラウマ、挫折、失敗などの自己否定的経験を積み重ねた果てに生じる無意識的な喪失感である、と暫定的に定義すればよいでしょう。大抵は、余暇活動での気晴らしや気のおけない仲同士での愚痴で発散されたり、あるいは別の領域での充足感で代償されるものですが、そもそも自分にストレスがかかっていたと気づいていなかった場合、目に見える形で表面化しないままじわじわと体や精神を蝕んでいきます。依存症患者の多くは、家庭環境や学校生活や職場や友人知人との人付き合いの中で、己の心が満たされていなかったという事実に無自覚です。彼らは往々にして、よくわからないうちに気が付いたら酒に頼りきる状況になってしまっていた、といったような主観的経験を話しますが、その時彼らが自分を表現する言葉を持っていなかったために。人は言葉を得て初めて思考が可能になります。「それ」を指し示す語彙がないならば、「それ」は「それ」としか表すことができません。「それ」が「それ」である限り、「それ」はその人の中には存在せず、他人と共有することもできません。何より、存在しないままでは思考できないのです。そして、わからなさは恐怖を生みます。

ではどうすればよいか。簡単なことです。もし目の前の現象や知覚した感情を伝える方法がわからなくて困っているのであれば、語彙や語り方を学べば良いのです。同じ依存症と闘う同志の助けを借りながら、目の前で話す同志の姿を真似ながら、アルコールに救いを求めるに至るまでの自身が歩んできた人生を物語ることで、主観から切り離した自己をフィクションの中に位置付け、相対化した視点でキャラクターとしての自分を見つめたとき、彼方より電撃的に天啓が降りてくる。今までとは違う見方で世界を見通せるようになる。それは不可逆的で、当たり前のような感覚でありながら、でもこれからは全てが良くなっていく実感に満ち溢れている。

話の流れで何故かアルコホールアノニマスのプログラムを分析したわけですが、ここから得られる知見は弊同好会の活動にとって非常に有用であると私は考えている。

あなたはONRYOに何を求めて入部しましたか?ただ単に音ゲーが好きなだけなら入部する必要はないと思います。でも入部したということは、少しでも誰かと繋がりたいと思ったからではありませんか?誰かと繋がり、真に情緒的で心震わせるような体験をしたくないですか?未だどのような形をしているか全く予想もつかない救いを俺は求めているし、誰かが救いを得るという物語を俺は消費したい。これは嘘偽りない本心だ。

そしてこのコミュニティ、岡山大学医学部音楽療法研究会がそのような人と人との豊かな交流の場になることを心から望んでいる。

奇しくも、弊サークルの正式名称は岡山大学医学部音楽療法研究会とのことで、さしあたっては音ゲーを媒介としたナラティブに基づく大学生活そして人生の充足という目標を掲げるとすれば体裁も整い俺も楽しめて最高なのではないかと思う次第。採用されるどうかはさておき。


岡医4年 メガネデスク

twitter:meganedesk

音ゲー:デレステ、D4DJGroovy Mix、スプラトゥーン、リングフィットアドベンチャー

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